政治不信が言われて久しい中、地方では着々と政治を正す動きが出てきています。
そんな将来に不安を持つ若者達が次々と、地盤、看板、鞄なくとも「理想」と「志」ひとつで政治家になり、真の政治を目指して頑張っています。
そんな若手政治家と共に政治を語る中、私自身、次の時代を担う世代の一員として、声をあげねば、本当にこの国の未来は無いと断言できます。
私には実績も経験も皆無です。が、失うものもなければ、シガラミもありません。故に現在の党利党略、私利私略がまかりとおる政治に決別し、誰にも恐れず、柔軟な、利益誘導とは無関係な政治判断が下せる政治をこのふるさと京都より行って参ります。
これまでに培われた負の遺産を次の時代にまで残したくはない、今ではなく明日のために、覚悟を決めて本気の改革に取り組むため、今高らかに市政に向け新しい旗を揚げようとするものです。
私が今の日本の政治っておかしない?と感じたのが、中学3年の時でした。全然、国民が望んでいるものと違う方向へ政治が進んでいる気がする、そんな事を漠然と考えておりました。
毎年の国家予算配分、公共事業、ODA事業内容、「なぜ、どうして?それってみんなが望んでる?」という疑問だけが残る。大人から聞こえてくる言葉は、政治不信、政治無関心・・・・。それが民主主義なんだろうか?
学校の教科書にも載っています、日本は民主主義国家だって、国民の意思を尊重する政治だって。そんな政治はどこにいってしまったのか。そんな本当の民主主義の実現を行いたい、そんな単純な思いが私の政治家としての原点であります。
民主主義の実現、つまり我々が望む政治の実現を行う事が、今の間違ってるんちゃうかという政治からの脱却になると考えます。ただ、それに向けて振り返ると結局、そうなったのは誰のせいなんでしょうか?
政治とは往々にして責任の所在が不明確になっているものですが、今の政治がおかしいのは結局、政治家が悪いという議論はあるものの、そんな政治家を選んできた有権者の皆さんの責任がそこにあることを意識してもらいたいと切に願い、またそういった意識が芽生えることが民主主義の原点であると考える以上、そういった意識をもって頂ける政治を私は目指して参りたいと思います。
でもそれを選んだのは結局…皆さんに責任はないと言えますか?
一人一人が政治に社会に責任を持って、本物の政治家を送り出せる時代の創造を一緒にやりたいのです。それこそが民主主義であり、尊敬される政治の実現なのです。
国があなたの為に何ができるかではなく、あなたが国の為に何ができるかを考えて欲しい。J.F.ケネディ
政治をあるべき姿に戻すこと。
政治に信頼を取り戻すこと。
それは蓄積された政治不信からの脱却であると考えます。 「政治は変わらない」という固定観念から「政治は我々の手で変わるんだ」と実感をもってもらえる政治を目指します。
この10年、皆さんはいくたびと政治家に裏切られたという感情をお持ちだと思います。私もその一人です。「あの人はやってくれる」そう信じた俺が馬鹿だった、なんて話が幾度とあります。私は政治家として、 2度と国民が裏切られたと感じる政治をしない、 皆さんに何とかしましょうという言葉を発すると同時に「隗より始めよ」の気持ちで、自ら行動し、自らの姿勢を通して、政治風土の改革に努め、尊敬される政治の実現を考えます。
決して特定の限られた一部の人間のために政治はあるものではありません。何がなくとも『理想』と『志』さえあれば誰でも政治に参加できる。そんな政治風土を作ることこそが私の考える、政治改革なのです。
僕たちの意見は政治に反映されている?
1.へ戻る事により悪循環となります。
皆さんの意識改革。政治家自身の意識改革。
1.へ戻る事により本来あるべき正しい循環が生まれます。
尊敬される政治を目指して。子供のなりたい職業No1が政治家になれる時代へ。
近年、これは社会全体にいえることですが、一体原点はなんだったのか、わからなくなることが多い気がいたします。
教育にしても然り、もともと教育ってなんだったんでしょうか。いい大学に入る事が教育だったのでしょうか?社会に出て行く上で一人間を教え育てることではなかったんでしょうか。
少なくとも政治は、みんなの意見を各代表者が持ち寄って、議論し、みなさんの意見に最も近い状態に持っていくことではなかったでしょうか?それは民主主義の原点であり、その上で政治家に求められるものは、次の三点であり、わたしの政治姿勢の3原則であるものです。
私はこれ以上政治不信を招くわけにはいかないと言った立場から、そんな政治を行いたいと考えます。