京都新聞京都市長に門川氏 951票差 中村氏振り切る
「市政継承」に支持 相乗り批判で苦戦 投票率37.82
任期満了に伴う京都市長選は十七日投票が行われ、即日開票の結果、自民党、公明党、民主党府連、社民党府連が推薦する前市教育長の門川大作氏(57)が十五万八千四百七十二票を獲得、大接戦の末、共産党推薦の弁護士中村和雄氏(53)を九百五十一票の小差でかわし初当選した。前市議の村山祥栄氏(30)は善戦したが及ばず、会社相談役の岡田登史氏(61)は伸び悩んだ。
(中略)
村山氏は市政改革を訴えて健闘した。地元左京区でトップとなったが出遅れも響き、大きなうねりを起こすまでには至らなかった。
(中略)
村山氏も市政改革を訴え健闘したが、市民を大きく揺り動かせなかった。
京都新聞市役所改革 攻めの姿勢で
同志社大学政策部 真山達志教授(行政学)
村山さんは「共産対非共産」の図式に割って入ると意気込んだが、結果的に選挙に大きな影響を与えたとは思えない。その意味で、破れたとはいえ、野党は非常に善戦した。
京都新聞自・公・民体制岐路に 市長選後の京都政界展望
衆院選 仕切り直し 共産、一定底力示す
京都市長選で自民党、公明党、民主党京都府連などが推薦した門川大作氏が初当選した。一九九三年以降、五回連続で市議会与党側が勝利したが、共産党推薦の中村和雄氏との僅差の結果や、四割を切る低投票率は、国会で対立する自民、公明と民主が相乗りした構図への批判が色濃く出たともとれる。地方選といえども政党の相乗りに有権者の理解が得られにくくなっているのは間違いなく、各種選挙に向けて京都政界も大きな岐路を迎えている。年内にも予想される解散・総選挙を前に、門川氏を推した政党も合わせて十六万票に届かない事態は「勝者なき選挙」だったといえ、戦略の立て直しが急務だ。
(中略)
どの政党にもおおきな前進とならなかった市長選で、政党支援を受けなかった村山祥栄氏が民主支持層に食い込むなど健闘した。「非共産対共産」の二極対決への批判は明らかだ。
市内中心部で門川氏手堅く
村山氏は市議を務めた地元左京区でトップに立ったが、浮動票を狙って力を入れた大票田の伏見、右京区でいずれも10%台と伸びなかった。
産経新聞相乗り門川氏辛勝
京都市長選、共産系に951票差
任期満了に伴う京都市長選は17日、投開票され、無所属新人の元市教育長、門川大作氏(57)=自民、公明、民主府連、社民府連推薦=が、弁護士の中村和雄氏(53)=共産推薦=をわずか951票差でかわすなど無所属新人3人を破り、初当選を果たした。投票率は37・82%で前回(38・58%)より0・76ポイント減少した。
選挙戦は市議会与党が相乗りで擁立し、桝本頼兼市長の後継となる門川氏と、共産が推す中村氏による非共産VS共産の「二極対決」に、前市議の村山祥栄氏(30)ら2人が割って入る構図で展開した。
(中略)
「相乗り」「市役所内部候補」の批判を掲げて出馬した村山氏が支持を急速に広げたため、保守票が分裂したことも、選挙戦に影響を与えたとみられる。
産経新聞村山さん健闘及ばず
午後10時50分ごろ、敗戦が濃厚になると、京都市中京区の村山祥栄氏の選挙事務所に集まった地元支持者や学生ボランティアから大きなため息が漏れた。
その後、事務所に姿を現した村山氏は頭を丸め「申し訳ございませんでした。私の不徳の致すところです」と一礼。支持者からは「祥栄よくやった」とねぎらいの言葉が掛けられた。
「相乗りには民意がない」と市民団体からの要請を受け、急きょ参戦した選挙戦。「あかんもんはあかん」と市職員の不祥事一掃や、財政再建などを強く訴えた。支持の輪は大きくなり、事務所はボランティアで埋め尽くされるまでになった。
村山氏は「私自身の政治の筋を通したが、皆さんの期待に応えられず申し訳ない」と肩を落とした。
朝日新聞逆風しのぎ門川氏
不祥事や財政 課題山積 試される「しがらみ」脱却
京都市の新しいリーダーは門川大作氏(57)。無所属新顔4人が争った京都市長選は17日投開票され、自民、公明、民主府連、社民府連合の推薦を受けて現市政の継承と発展を掲げた前市教育長の門川氏が、初当選を決めた。共産推薦で弁護士の中村和雄氏(53)、前市議の村山祥栄氏(30)、会社相談役の岡田登志彦氏(61)は市政の変革を訴えたが、政党相乗りの壁を敗れなかった。門川氏は、職員不祥事が相次ぐ市役所の改革や財政の立て直しなどに、その手腕が問われる。
(中略)
政革強調も出遅れ響く 村山氏
落選が濃厚になると村山氏は頭を丸刈りにして中京区の事務所に登場。手作り選挙を支えた支持者らを前に「不徳の致すところ。しっかりとみなさんの期待に応えられず反省しています」と、頭を下げた。選挙戦では「あかんもんはあかん」をキャッチフレーズに、市役所の抜本的改革の必要性を強調。政党が相乗りした門川氏擁立への批判票なども集めて健闘した。しかし、立候補表明が告示の半月前と出遅れたこともあり、訴えを十分には浸透させきれなかった。
毎日新聞敗れた村山、岡田さん
「手応えはあったが」
「あかんもんはあかん」と大書きされたポスターが張り巡らされた中京区の村山さんの事務所。落選が決定的となった午後10時50分ごろに現れた村山さんは、「敗戦の責任を取って」、髪をばっさりと落とした丸刈り姿。選挙運動の中核となった学生ボランティアら支持者約150人が、涙ながらに拍手で迎えた。
村山さんは、「出馬表明が遅れたにもかかわらず、ここまで支持をいただいたことにお礼を申し上げたい。実質的に選択肢のない二極選挙の押し付けを許さない、不祥事の継続を許さない、という正義の民意に応えることができず、私の力不足で申し訳ない」と深々と頭を下げると、「まだ次があるぞ」などと激励の声も飛んだ。
上島芳朗・選対本部長は「結果は残念だが、手応えは大きかった。今後、将来性に掛けてくださった有権者の期待に応える政治活動をしなければならない」と述べた。
読売新聞村山さん「私の不徳」
落選した村山さんは、中京区の事務所に髪を丸刈りにして現れ、「多くの方に支援を得ながら、勝てなかったことは私の不徳の致すところ。申し訳ありません」と敗戦の弁を述べた。
告示約2週間前に、「市民の声を無視した政治」と、与野党相乗りを批判し、「無党派」を旗印に出馬表明した。「あかんもんはあかん」をキャッチフレーズに、学生ボランティアらが中心になった手作りの選挙戦を展開した。
村山さんは、「筋は最後まで通すことができた。今回の結果は、自分の大きな反省とした」と語った。