さて、このたび、今上天皇がご譲位されることが方向性としてほぼ確定しました。
京都では、皇室を京都にお迎えするということを大黒柱に双京構想が策定され、本年度の予算議案においても文化首都京都の実現を重点政策の第一に掲げています。しかし、この双京構想の実現は大変難しい局面に突入致しました。と申しますのも、この双京構想の骨格は皇室の京都移転であり、有識者懇話会での議論にもあるように、具体的には秋篠宮殿下に京都にお住まいいただきたいということでありました。しかしながら、このたびのご譲位で、秋篠宮殿下は皇太弟(こうたいてい)といったお立場になられ、所功先生によれば京都にお招きをすることは事実上困難になるというわけです。
陛下に京都にお帰りいただきたいという思いは、明治二年に行幸啓(ぎょうこうけい)に出られて以来の、京都の町衆の長年の念願でもありました。
そもそも陛下のお住まいをさす『御所』、六箇所のうち三箇所が京都にあることは言うに及ばず、『高御座(たかみくら)』と呼ばれる玉座も京都御所に残されています。京都は 1200年の都という言葉が示すとおり、日本のふるさとであり、皇室のふるさとであり、皇室とともに王朝文化、宮中文化を育んできた街なのです。
それは東京へお移りになった明治以降にも同様です。ドナルド・キーン氏によると、明治天皇も在任中、京都へ戻りたいというご意向を強くお持ちであり、その延長線上で、東京での造営が決まっていた明治天皇陵も京都・伏見桃山の桃山御陵へと変更されました。昭和天皇におかれても、敗戦処理内閣である東久邇宮内閣で昭和天皇のご退位は避けられないとの状況下にあって、近衛文麿副総理が京都御室の仁和寺を具体的なお住いとして検討されたという経緯もあります。このように、譲位が検討されるたびに、京都はご譲位後のお住まいの候補地でありました。
また、通常、上皇のお住いを「仙洞御所」と呼びますが、既に仙洞御所は京都御苑にあります。これらは、京都がご譲位後のお住まいとして極めて正統性をもった場所であることを物語っています。
左京区には八瀬という皇室に縁の深い土地があります。ここに住む人々を八瀬童子といい、長年天皇が移動するときにお乗りになる籠を担ぎ、天皇陛下の側近として雑務に従事する『與丁(よちょう)』と呼ばれる職についてきました。明治元年の東京への行幸はもちろん、先の大喪礼、即位礼でも輿を担ぐ大役を務めておられます。その歴史は古く、後醍醐天皇の比叡山逃避行をお守りしたところに始まり、長きに渡り皇室にお仕えした八瀬童子は、税や労働奉仕を永代にわたり免除するとされ、その待遇は実に昭和20年まで続いてきました。皇室との関わりは現在も深く、行幸啓のお出迎えに御所へ赴くと、陛下は旧知の八瀬童子に気軽にお声かけをされると言います。
京都の伝統産品のひとつである京菓子も、皇室という王朝文化の中で育まれ、長年禁裏に献上され続けてきました。現在も、宮中行事のひとつである歌会始に使われる上菓子は、かつての禁裏御用達業者による京都の上菓子仲間が形を変え、今も京都より両陛下へ献上されています。このように、京都の町衆と皇室はいまだ密な関係にあるのです。
昭和天皇ご崩御の際には、侍従長より直々に先述の八瀬童子による與丁(よちょう)制度を復活させてはと打診があったともいいます。遠く離れた東京でのご奉仕は事実上困難との判断から、八瀬童子会は丁重にご辞退されたと聞いておりますが、こうした伝統も京都であれば復活させることが可能です。
伝統産業はいうに及ばず、一見宮中とは何の関係もなさそうな京野菜もそうです。今日の京野菜は、宮中に献上するためめずらしい野菜や種を栽培し、他にない品質の高い野菜を作り続けてきた結果の賜物であります。このように、京都なら、宮中文化を軸にした日本文化の再興・さらなる発展ができます。
そもそも、京都御所はいつでも活用出来る様にという前提で、今日まで維持されてきました。東京では一から上皇のお住まいを建設するとのことですが、耐震改修もされた京都大宮御所ならば、多少の改修で十分お住まいいただけるものと考えております。上皇として京都にお住まいいただいた暁には、歌会始や講書始などの宮中行事、園遊会や叙勲の勲章伝達式なども是非京都御所や迎賓館などを活用して、京都で開催いただいてはいかがだろうか。明治6年に廃止になった五節句などの宮中行事を復活させ、京都御所内に大量に眠る皇室ゆかりの品を展示する施設を開設するなど、日本文化の再生も京都が担えるかもしれません。
宗教家の山折哲雄先生は、「陛下は、皇太子時代の1981年、平安時代の嵯峨天皇(9世紀)に象徴される“文化天皇”こそが戦後の象徴天皇のあり方だろうと発言されたこともありました。重責から解放されるわけですから、今度は皇室の文化の“ふるさと”をゆっくり味わっていただきたい。現在の皇居は周囲に深いお濠があり、敷地は森に覆われている。一方、京都御所は庶民の生活の場とも“地続き”です。だからこそ京都人は長く、親しみを込めて『天皇さん、天皇さん』と呼んできました。」と発言されています。
そして、今上天皇のご譲位の後の新天皇の即位の礼ですが、紫宸殿の前にずらりと並び大王朝絵巻をやるべきです。世界へ日本文化、京都をアピールする絶好の機会になることはもちろん、これを機に途絶えつつある伝統、技術の継承が実現します。これは伊勢神宮の式年遷宮でも強く意識されていることです。文化の再興にはきっかけが必要なのです。是非併せて誘致に向け検討を進めるべきです。 京都が日本の役に立てるときがやってきたのです。
いずれにしましても、平成は30年までと言われ、正式にご譲位が決定した後、速やかにお住まいをはじめとした課題が動き始めます。風雲急を告げる。速やかに受け入れに向けた機運を醸成すべきです。最終的な判断は皇族や宮内庁、政府首脳においておこなわれるべきものでありますが、常に譲位の舞台であり続けた京都がその大切な役割を果たせるということを示すこと、そして京都を含めた選択肢の中で、最良のご判断がなされることが大切なのです。百四十有余年の時を経て、京都は再び皇室との縁(えにし)が結ばれる。我々京都市民はそれを歓迎しようではありませんか。
(平成29年3月1日代表質問草稿より抜粋)