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平成18年11月15日京都市会議員(無所属)村山 祥栄
これは義務教育課程における中学社会科の授業の進捗状況を、京都市立中学校卒業生を対象に実施したアンケート調査の結果をベースに独自の分析を加え作成した報告書である。
義務教育課程にもかかわらず、指導方針には全ての教科において最後まで指導する必要があるにも関わらず、3年間を通じて全ての授業を最後まで習った生徒は実に34% にしか満たない。
果たして、これで義務教育課程を本当に修了したと言ってよいのだろうか。我々の信ずる義務教育とは一体何だったのだろうか?
基本的に教科書の完結は極めて低い。最後まで習ったという学生はそれぞれ全体の約6割に満たない。由々しきことに約半数近くは、教科書を最後までしっかり習っていないのである。特に、公民分野は48%が途中で年度末を迎えており、しっかり授業を受けた感がない。
履修していても中身がしっかり教えられていなければ単位認定の意味がない。
全体的には教科書通り授業が進んでいる。歴史は概ね教科書に沿って授業が進められているが、地理は比較的ばらつきがある。項目が教科書どうりである必要はないが、先生によって教科書通り進めるパターンとバラバラに教えるパターンと言った差異の存在がわかる。画一化された授業が行われていないという点に注視すべきである。
教科書に載っている事項がその都度、現場判断によって省かれていることが分かる。俗に言う「飛ばし・中抜き」の実態が顕著に出ている。時間がかかると言われる歴史ではより顕著にでている。どういった根拠で飛ばしたかは判断しかねるが、現場の教員によって中抜きが常習化していることを示す。
我々は教科書に従って抜けなく進行していると信じています。だからこそ教科書の内容が議論の対象に値するのである。中抜きがこのように横行するならば、内容の精査は無意味なものと化すのではないでしょうか。
比較的前半部分はしっかり習ったとされる回答が多いが、後半になるに従い、その確率は顕著に低下する。明治以降急激に低下し、戦後に至っては約1割が「習ってない」と回答し、4割が「少し習った」と回答している。聞き取りからは、日本史が最も授業時間を割いて進めていること分かるが、それでもなお時間が足りないのか、前半に時間を割きすぎて終盤が疎かになっていると推察できる。
我々の社会生活に密接に関係し、最も身近な近現代が軽視され、習わずに大人になっていく事は大変由々しき事態である。特に外交における歴史認識問題等、歴史観に裏打ちされた議論は近年活発化しており、その重要性は言うまでもない。結果は大変遺憾なものである。
「日本国憲法」および「国民主権と政治」については概ねしっかり授業が行われているようだが、その他の項目では、それぞれ習っていない生徒が発生している。全体的には経済分野が弱いことが読み取れる。また、「国際社会について」は習っていない生徒が、一割近く発生している。ここでも、教科書の終盤に穴が発生している=時間が足りなくなっているという傾向が見られる。
歴史や公民に比べ、「しっかり習った」という項目に片寄りが少ない。逆に言えば、歴史・公民の様に突出してしっかりやった項目がない分、全体的に「しっかり習った」割合が低い。教科書終盤の未履修は同様発生している。また、歴史等に比べ、目次タイトルから内容が把握しにくい為、回答を避けているケースが想定される。
履修はしていても、確実に授業が行われていないならば履修したとはいえないのではないでしょうか?
昨今、未履修問題が社会問題化しております。しかしながら、問題は未履修に留まらず、現場対応による不十分な教育課程における授業の進め方にも大きな問題を感じざるを得ません。正しい歴史認識を持たざる若人、社会のシステムを理解せず大人になる若人、生まれ育った土地柄、お国柄を知らない若人、そんな若者が年々増えているような気がするのは私だけでしょうか。
教育は国の基であり、義務教育はその根底にあたる基礎教育です。その根底が揺るぎ始めている一因をここに見ることができます。そして、この問題は義務教育制度を根底から揺るがす由々しき問題です。将来の日本を考えるとき、教育の責任は余りにも大きいと言えます。だからこそ、それを司る教育委員会の使命は極めて重要にして重大です。
子供たちには学ぶ権利があります。教師は教えると言う責任があります。その重責を今一度見つめ直して頂き、正しい義務教育の姿が再現されることを願ってやみません。これがその一助となれば幸いです。京都市教育委員会に大いなる期待を込めて
平成18年11月京都市会議員 村山 祥栄
同じアンケートを中学3年生にも回答頂きました。アンケート集計の精度を高める為、別紙にてまとめております。また、公民は中学3年次に履修する科目であることから、公民の回答は頂いておりません。
ここではサンプルの数から傾向を抽出する程度に留めたいが、結果として、卒業生アンケートと類似の傾向が見られた。即ち、この状況は現在進行形の実態である事が重ねて分かる。高校生対象に比べ比較的未履修が少ないのは、履修後時間の経過が少ないことで記憶が鮮明であると考えられるか、状況が一定程度改善されているかのどちらかであると言えるが、その答えをここに見る事はできない。しかしながら、ここでも未履修、中抜き等同様の問題点が存在することは特筆しておきたい。