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2004年02月16日

建設経済新聞

「一客一亭」 電話一本政治の出前 たった一人の叛乱と呼ばれて 村山祥栄(市会・無所属)

小学校時代の強烈な印象

どうも、若者は元気がないね。よく言われる言葉だ。しかし、京都政界は今、大きな変革期を迎えていて、その主役は20歳代から30歳代の若者達である。国政でも、京都府・市会の地方議会でも、新しい時代を目指して生き生きと活躍している。

村山はその象徴的な存在である。25歳の最年少記録で京都市会に当選。無所属の旗を掲げ、たった一人で京都市政の改革に取り組んでいる。

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村山祥栄

昭和53年2月7日、左京区下鴨蓼倉町に生まれた。父親は政雄さん。母親は信子さんといい、父の雅夫さんは設計技師で、3人兄弟の長男である。

地元の下鴨小学校、東山中学校、東山高校と進んだ。中学、高校時代から社会科が得意で、漠然と政治への関心を持っていた。とくに、戦後の時代を作った田中角栄に、興味を持ち、田中角栄に関するあらゆる本を読破した。

『コンピューター付きブルドーザー』といわれた田中の政治歴は、村山にとって政治のお手本になっていたようだ。村山が高校1年生のとき、その田中が亡くなった。東京の青山で行われた盛大な葬儀に、村山は単身上京、その葬儀に参列している。このときが初めての上京。右も左も分からぬ東京でこの葬儀にもぐり込んだ。思い立ったら行動する。この精神こそ、いかにも村山らしい。

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仰ぎ見る理想がない

大学は東京の専修大学を選んだ。「とにかく東京へ行きたかった」と当時を述懐する。

平成8年、元民主党衆院議員、現在、神奈川県知事松沢成文氏の秘書となった。秘書時代には、秘書会の先輩達に、青臭い政治論を持ちかけては、うるさがられた。そして、選挙の手伝いにも熱を入れ、全国を駆け巡った。

しかし、村山は、そうした秘書生活の中で仰ぎ見る理想を持たず、政治の現実を追認していく周囲の空気になじめなかった。

大学を卒業すると、リクルートに入社。会社勤めに入った。「会社に入ると、日常業務に追われ、新しい社会を作ろうという志が、どんどん失われていく。それが恐ろしかった。」という。被選挙権が手に入る、平成15年4月の京都市会議員選挙に打って出る事を決意した。

最初は、家族からも「何を考えているんだ」と相手にされず、お金もなく、味方もいない状況だった。村山は根気強く、学生や仲間一人一人に熱心な政治論を語りかけた。

「みんなで今の社会を変えよう」「このままでは、何も進まない」「若い人の声を政治に反映させよう」

そのうち、学生や仲間を中心に小さな輪ができ、やがて大きな渦巻きとなった。選挙事務所も無償で借り受けるなど、善意に支えられた見事な手作り選挙となった。

15年4月。9人定数の中7位で当選。5004票の得票となった。

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政治不信のマグマに火をつけろ!

「若者は政治に無関心というが、政治に対するマグマはたまっている。明解な理論で火がつけば、エネルギーとなる。」これが村山が選挙で知った経験である。

京都市会では、無所属会派は村山1人。『たった1人の反乱』といわれている。村山の事務所に入ると、『電話一本、政治の出前』というパンフレットがあった。それによると、『市政、地域の困りごと、ご意見はありませんか』と書かれていて、村山ホットラインという携帯番号が載せてある。そして『呼んでください』『友達を紹介ください』『このパンフを配ってください』とある。自宅でもお茶飲み会、イベント、呼ばれたらどこへでも出向く。パンフレットは、10枚でも20枚でも近所に配ってください。

お金をかけない政治活動がモットーなのだ。同じ目線で若者の中に分け入っていく新しい政治手法である。約1時間あまりのインタビューだったが、ホットラインは鳴りっぱなしだった。

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選挙に行かんでいいんかい

村山は、今、政治活動のテーマとして、若者の投票促進運動を続けている。京都、大阪、神戸の若手議員と共に『GR(世代革命)の会』を結成、関西一円で若者に投票を呼びかけている。また、京都独自の活動として『選挙に行かんで委員会(いいんかい)』を立ち上げ、市内一円で宣伝活動を行っている。

国や地方都市で財政的危機が叫ばれている。この大きな負担を背負うのは若者である。それが3人に1人しか投票していない。政治家は選挙に行く人の言い分しか聞いてくれない。このままでは『白紙委任状』を渡したようなものだ。消費税が上がろうと、保険料が上がろうと文句が言えない。「これでいいのか」村山の主張である。「衆院選、今度の市長選と結果は出ていませんが、若者の代表として根気強く訴えていきます。」

村山は政治の理想として、西郷隆盛の『命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に負えぬ。しかし、始末に負えぬ人ならでは国の大業は成し得られぬ』という言葉を大切にしている。

この危機の時代、改革がうまくいかないのは、リーダーである政治家が、『公』の大切さを徹底して『私』の欲望を抑えることができていない。後世に恥じない高き理想を失っているからだという。明治維新の英雄達は、歴史観、国家観、そして清廉、質素、勇気を徳目とした。このすさまじい姿勢があってこそ、初めて時代を動かすことができる。

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財政再建こそ最優先

村山は、16年度の京都市予算に対して、28項目の予算要望書を提出している。財政再建最優先。市債発行の抑制。再建プログラムの数値目標。職員削減の数値目標。外郭団体の統廃合と厳しい要望が並んでいる。「市の借金を減らすこと。これが何よりの急務。少々でも余裕がないと地震などの災害が起きれば、たちまち財政破綻。市民の命も守れない」という。

たった1人の無所属議員。その気迫は天を衝く。聞いてすがすがしい。

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村山は各論としていう

「入りが少なければ出を改める。職員のリストラもドラスチックにやるべきである。現在のような定年退職の人の補充を減らす。この方法では年齢順の人材配置が断絶する。長野県の田中知事のように、全員対象に希望退職を募るべきでしょう。企業や市民の苦しみを考えれば当然だと思います。」

それに「今度、京北町の吸収合併が実現しますが、もっと京都市民の声を聞くべきではないか。正直言って京都市民にとって、どれだけのメリットがあるのか。広大な土地のインフラに金もかかるし・・・」。

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尊敬する人は高杉晋作

「議会と市長部局の関係も、もっと緊張感を持つべきです。与党といえども、市民の視線で是々非々で臨み、改革に対してはドンと背中を押してやる気迫を持つべきです。それに発議権を利用して、どんどん議案や条例を提案していくべきです。」「改革は既得権との戦い。議員は良い子になってはダメ。それには手本になるように、定数や歳費、問題になっている議員年金にもメスを入れるべき。その姿勢が政治への信頼回復に繋がっていくと思います。」

キラキラする村山への取材は、いろんな教訓を得た。確かに既成政党にない新鮮な発想は次の時代を予感するものがある。とはいうものの、どこまで孤塁を守れるのか−少々不安でもある。村山は馬の年生まれ、天馬空を征く−というが、理想という天空で輝いている若者1人。励ましてやりたいものだ。

趣味は読書と魚釣り。読書は江戸時代から明治維新にかけての『偉人伝』。坂本竜馬、勝海舟、吉田松陰、西郷隆盛、高杉晋作・・・。時代を駆け抜けた英雄達の動向が、村山への励みになっている。とくに高杉晋作が好きで、「組織力と次の時代への視野の広さ」が仕事の上で大いに参考になっているという。

もうひとつの魚釣りは、子供の時からの楽しみなのだが、このところ「時間がとれないんですよ」とボヤいていた。

事務所は左京区下鴨貴船町46グランディール堤201号。

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