2002年9月30日リクルート社退職。事務所と呼べるような代物ではない築年不明の貸家。そして、思い切って発注した10万枚の名刺とビラ。そして、あちこちから分けてもらった事務所備品達。それだけ。人は一人もいない。
身内の反対を押し切り「誰かがやらなければならない」というある種の使命感だけで再び故郷左京に帰ってきた。こんな選挙がしたいイメージだけで、何も無い。はっきり言って不安。すでに、新人候補も含め活動が活発化している中のスタート。何から手を付ければいいのか、焦りばかりが募る。
毎朝、駅に立ってとにかく思いを有権者にぶつけ続ける。人は蔑む眼で目の前を通り過ぎる。「何してんだ?あれ」目線をあわす人もいない。
昼は、雨が降ろうが槍が降ろうが、あいさつ回りの日々。一日、多い日で300件近く回る。何処へ行っても、「誰?」「うちは結構です」怒鳴られるばかりで話が進まない。話が出来ても「若造の癖に」「受かるわけが無いだろ」…空虚。空回り?やはり思いは届かないのか?
そんなとき、同級生の友人が川西市でトップ当選を果たす。「京都だけがその流れに取り残されてはいけない。あきらめたら終い。しゃあないゆうてたら始まらんやん。」それだけが、自分のモチベーションだった。
そんな活動を続ける中、少しずつ振り向いてくれる人間が出てきた。最初は友人であり、学生さんだった。ひとり、ふたり、年末には、常時誰かが事務所に来てくれている状況が出来る。大学時代の東京の仲間も泊まりこみで来てくれた。お陰で街中にポスターを貼ることができた。一緒にビラ配りに出かけ、戻ったときは朝になっていたり。私の掛け替えの無い仲間は将に、昼夜問わず、突っ走ってくれた。
あるときは、「話が聞きたい」と学生が現れ、帰りには「何か手伝えないでしょうか」とボランティアになってくれた。あるときは、見知らぬ学生が「使ってくれ」と1000円のカンパを持ってきてくれることもあった。純粋であるがゆえの重み、これは今でも重く肩に圧し掛かり、決して彼らを裏切りことは出来ないと感じる原点になっている。
そして迎えた事務所開き。ちょうど投票日1ヶ月をきったところ。すでにボランティアは毎日10人を数え、選挙事務所は地元の方に無償で提供頂いたもの。見たことも無いほど多くの方々が集まってきて下さった。他の候補から見れば、吹けば飛ぶような数だったと思う。しかし、私にとってはそれで十分だった。決意表明の場で、初めて涙腺が潤んだ。ここまで辿り着けたことが何より嬉しかった。
残すところ一ヶ月を切り、改めて突っ走るしかない、そう心に決めて選挙を向かえた。
選挙が告示された。
溜まりに溜まっていた思いは、爆発する。後先を考えず、所構わず叫んだ。初日に声は枯れ、フィニッシュコーワ(うがい薬)が一日で無くなる。歩き続け、気がつくと、足の筋が切れていた。足の裏はマメが何度も破れ、見るも無残な姿になる。手は赤く腫れ上がり、段々握力が無くなっていく。残りあと何日、それだけを数え、街頭に立ち続ける。
朝は6時30分頃から駅に立ち、晩は11時ごろまで駅に立つ。よく周りの仲間が、根を上げず付き合ってくれたと本当に感謝する。そして、私自身、走り続けられたのは、将に皆様の「頑張れ」の一言に尽きる。
そして、投票の朝を迎えた。
天気は芳しくない。投票率は軒並み低下。浮動票頼りと言われたうちの陣営の顔は冴えない。「厳しいな」「お疲れさん」「結果はどうあれ、ようやったよ」そんな電話が私の携帯に入る。また、私の周りの人間はどうも選挙に行ったことがない人間が多いらしい。昼には「結果どうだった?」などという電話まで入る。
そして迎えた開票速報。
私は家で一人でそれを待っていた。0時の開票速報で当確が出た。私は事務所へ歩いて向かった。結果は12人中8番目。下から2番目の当選。
お陰さまで、市民の市民による既存への挑戦は、無事勝利を収めることが出来た。そして、ここからまた新たなスタートが始まった。
候補者氏名 | 当落 | 年齢 | 党派 | 現元新 | 得票数 |
---|---|---|---|---|---|
青木 善男 | 当 | 78 | 自 | 現 | 6712 |
加藤 あい | 当 | 27 | 共 | 新 | 6625 |
柴田 章喜 | 当 | 53 | 公 | 現 | 6420 |
隠塚 功 | 当 | 39 | 民 | 新 | 5936 |
山本 正志 | 当 | 56 | 共 | 現 | 5461 |
鈴木 正穂 | 当 | 54 | 民 | 現 | 5384 |
巻野 渡 | 当 | 53 | 自 | 現 | 5113 |
村山 祥栄 | 当 | 25 | 無 | 新 | 5004 |
樋口 英明 | 当 | 33 | 共 | 新 | 4775 |
大西 均 | 落 | 53 | 自 | 現 | 4139 |
中村 十一 | 落 | 46 | 無 | 現 | 3760 |
小川 真三 | 落 | 53 | 無 | 新 | 951 |
2003/01/08 京都新聞地方新世紀 第5部 問われる議会(7)
「人任せでは何も変わらない。若者の力で政治家を生みだそう。」
冷たい雨が降る昨年12月21日。4月の京都市議会選に、左京区から無所属で立候補する男性(25)は、京都教育文化センターに集まった大学生ら60人にこう話しかけた。
大学時代に衆議院秘書や選挙スタッフを務めた経験はあるが、昨年10月までは民間企業の会社員。仕事も楽しく、会社の雰囲気も良かった。
両親の猛烈な反対を押し切り、退職。いまは選挙一色の生活だ。事務所の壁には大きな紙を張り、あいさつ回りや街頭宣伝の予定をびっしりと書き込んだ。事務所には、ボランティアの若者が交代で詰める。
選挙活動の資金は、会社員時代の貯金だけで、後援組織もない。知人のツテを頼ってあいさつに行った先では、「何の用だ」「迷惑だ」と理不尽にののしられ、住民の政治への視線の厳しさ、冷たさを実感した。「若者には未来への責任がある。保育施設の充実や市の財政改革など、次世代にツケを残さないようにしたい。」
2003/03/09 朝日新聞京 選択 03統一地方選 京都市議選
4月4日に告示される京都市議選で、政党からの推薦などを受けない「無党派」の人たちの立候補表明が相次いでいる。前回選挙で政党の推薦を受けなかった候補者は2人だったが、今回は離党組みも含めると10人前後になりそうだ。
昨年10月に民間会社を退職、立候補することを決めた男性(25)は学生時代、ある政党の代議士秘書の経験がある。だが、政党から立候補する気にはならなかった。「政党自体を否定しないが、国民の信頼に応える政治が今の政党にはできていない。そんな政党に振り回されたくない」と言う。
活動資金はサラリーマン生活でためた金とカンパが頼りだ。「政党に頼らない若者が立候補するにはまだまだハードルは高い」と話す。
2003/04/14 京都新聞1面トップ
「お金をかけない政治」私の最初のお約束でした。
資金が不透明といわれるこの業界において、皆様がおっしゃる事は「選挙って金かかるんやろ」「何千万いるねん」…。政治家の皆さんは、とにかく「クリーンな政治を!」と言われますが、どこがどうクリーンなんでしょうか?納得がいかない。
まずは、すべての資金を公開し、少しでもわかり易くしたい、だから公開する。そして、皆様から頂いたカンパを一円も無駄にすることなく使います。それが、無謀とも言われた選挙事務所の台所事情公開のきっかけです。
これは、さらに踏み込んだ内容だったと思います。
選挙後の公開はやろうと思えば出来ます。最悪収支が合わなくても帳尻をあわす事ができます。それじゃ、駄目なんです。そんなことが出来ない、選挙中にこそ、ダイレクトに、リアルタイムの金額を出すことが、重要であると考えました。
事務所サイドはあまりに事務作業が煩雑化する為、ボランティアの学生にはご迷惑をお掛けしました。皆様から頂いたカンパ額と毎日の支出。毎日、金額を更新し、公開ボードを事務所と宣伝カーに取り付け、選挙活動をいたしました。
そう叫び続けた選挙戦。
「私は、今出来ることを全力でします。本日の選挙資金の公開は○○円です。」
少しでも、関心を持って頂ければ、不透明と言われる選挙資金をわかり易く出来れば…。そんな思いで訴え続けました。
わざわざ遠方から見に来て頂いた方もいらっしゃいました。
この収支報告は、選挙管理委員会に提出したものを簡易にまとめたものです。
供託金返却金、カンパ残高を用いて収支報告ビラを発行・郵送いたしました。
尚、差額 6,623 円につきましては、後援会繰越残金とさせて頂きます。
以上をもちまして、このたび頂戴したカンパ全額の使途をご報告を申し上げます。これからも、お金のかからないクリーンな政治の実現に向け、活動を続けて参ります。政治資金カンパは引き続き行います。何卒、政治浄化にご協力ください。
※なお、企業献金は一切受け付けておりません。
お申し出頂ければ取りに伺います。