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市長選挙-報道-2008年02月06日

朝日新聞

候補者 こんな人

村山祥栄さん(30)=無新 「最年少」への挑戦 再び

立候補表明はわずか3週間前。「犬死にや」と止める支援者もいた。だが、現状打破を掲げて「あかんもんはあかん」と走り出した。

7日で30歳になる。中学時代に芽生えた政治への思いを着実に育て、大学生で松沢成文衆院議員(現神奈川県知事)の秘書を経験。25歳だった03年の京都市議選に最年少で当選した。

市議会では唯一の無所属を通し、体当たりの現場調査で同和行政のゆがみなどを追求。昨年、左京区選挙区トップで再選を果たした。任期を3年以上残した市長選挑戦を「京都市のために汗をかくという一点は、何ら変わらない」と説明する。

強みにしてきた若さだが、147万都市のトップとしては「経験不足」とも見られがちだ。本人も「周りが年上でやりにくいのは当然」としたうえで、「ちゃんと筋が通って、するべきことが明確であれば、物事は前に進む」と話す。

尊敬する高杉晋作は20代で幕末の日本を動かした。彼の辞世の句「おもしろきこともなき世をおもしろく」を胸に今度は最年少の市長を目指す。

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毎日新聞

候補者の横顔

村山祥栄候補}(30) 「解体と創造」に熱意

中学生のころ、大疑獄「東京佐川急便事件」があった。「政治家が自己保身に走り、命懸けで仕事していないことに憤りを感じた。こんなことなら、おれがやってやる」。政治家を志した契機だった。

「糺の森が遊び場だった」子供時代を経て、「政治を勉強するなら東京へ」と専修大に進学。そこで松沢成文衆院議員(当時、現神奈川県知事)の学生秘書に。「松沢さんは常に現場にいた。生の声を聞き、現場に基づく政治でなければ机上の空論、と再三再四教えられました」と振り返る。

最近、白洲次郎を取り上げた本を読んだ。「戦後のあの時期、あかんものはあかん絶対権力者のマッカーサーにも筋を通した。政治家とはこうあるべき、と腹にグッときた」と言う。

尊敬する人物に高杉晋作と両親を挙げる。会社を辞めて市議に挑戦する際、両親に猛反対された。「僕はちょっと安心させたら、不安にさせることの繰り返し。でもやると決めたら付き合ってくれる。ありがたいです」。

市政が安定しているなら、市長は自分でなくてもいいという。「しかし、今は役所を壊さなければならない時。解体と創造こそ、政治家の仕事」と出番を望んでいる。

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京都新聞

歩み、決断 2008京都市長選 候補たち

村山 祥栄さん(30)無新 「筋を通す」心に響かせ

「自分が議員になってこの国を変える」。志を立てたのは中学時代。当時、佐川急便事件など「政治とカネ」の問題がテレビで盛んに取り上げられた。テレビに映る政治家は保身ばかり考えているように見えた。純粋な気持ちと義憤。子供のころから多感だった。

そのルーツは、小学五年の時に塾で巡り合った社会科講師の言葉だ。「筋の通らないことにはちゃんと声を上げろ」。勉強が大の苦手だったため通わされていたが、その一言が心に響いた。今も演説の際に良く使う。

京都市内の高校から東京の専修大へ進んだ。政治サークルに入ったが、思想的になじめず三カ月で退部。思いが募り、当時新進党の衆院議員で現在は神奈川県知事の松沢成文氏の門をたたいた。自民党の一党支配を終わらせた新党に関心を持っていたためで「ボランティアで使ってください」。学業もそこそこに事務所の掃除や車の誘導など下働きをした。学校や議会の視察にも同行し、課題の現場に足を運ぶ大切さを学んだ。

その後、離合集散を繰り返す政党に幻滅し、松沢氏のもとを離れてアルバイトに明け暮れた。ところが大学三年の時、知人に頼まれて手伝った山口県内の市議選で、当時三十歳の無所属候補に会い、目が開いた。食費を切り詰めながらも、資金も地盤も知名度もなく孤軍奮闘する姿に共感。「おれも地元の京都で市議になる」。そう決心した。

卒業後にリクルートに就職し、不動産情報誌の営業を二年務めた後、決心通り京都に戻った。左京区で市議選の準備を始めるまで、家族は猛反対。「アホ言うな」「夜逃げせなあかん」と言われたが、揺るがなかった。

街頭でビール箱の上に立って「あきらめてはいけない」と叫んだ。「邪魔だ」とゴルフクラブで殴られそうにもなったが、財政再建をひるまず訴え続けた。全国最年少の二十五歳で初当選。二期目はトップ当選した。

「おもしろき こともなき世を おもしろく」。小学校の卒業アルバムで、つたない字で高杉晋作の句を記した。近代的な奇兵隊を組織して幕府軍と戦った志士を尊敬する。三十路を迎え、「おもしろき世」を求め、全市域に信を問う。

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京都新聞夕刊

朝の風景

舌戦たけなわの京都市長選(十七日投開票)。候補者となった新人四人の朝は、以前に増して早くなった。睡眠時間を削り、夜が明ける前に家を出る。街頭で訴え続けた疲れより、本番を迎えた高揚が勝っている。勝利を目指し、身も心も引き締まった。

村山祥栄さん(30) カイロ準備抜かりなく

ノーネクタイで自宅を出た。連日の演説で声が少し渋くなった。「告示後はやっぱり、演説を聞いてくれる人の反応が違います」。話しながら目の光を強め、気力を充実させていく。

車で事務所へ向かう道すがら、待ち合わせているスタッフに連絡。「使い捨てカイロと張るカイロ、十枚ずつ準備しといて」。かじかむ手を缶コーヒーで温めながら、夜明け前のまちを走る。

選挙カーに乗り込み、てきぱきと今日の予定を打ち合わせ、京阪淀駅へ。おでんで腹ごしらえし、ネクタイを締め、カイロも手早く身につける。車から降り立つと、たすきを掛け、行き交う人へ声を張り上げた。

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産経新聞

京都市長選―候補者の横顔

村山 祥栄氏 (30)無新 命かけて地元に恩返し

「京都市に対して、ずば抜けて思いが強いんです」と言う根っからの京都好き。左京区に生まれ、幼いころから通い詰めた下鴨神社の史跡「糺の森」を自分の「原点」と話す。政治を学ぶため一度は東京で暮らしたが、「地元に帰って、地元のために政治をやる」と京都への思いは途切れることはなかった。

政治家を志したのは、中学生のころから。歴史好きで、明治維新の志士たちにあこがれを抱くかたわら、テレビに映る当時の首相らのふがいなさが目に付いた。「命をかけて政治に取り組んだら、もっとできることがあるはず。おれがやったほうがましや」と子供心に思ったのがきっかけだった。

大学時代、当時衆院議員だった松沢成文・神奈川県知事に師事。「松沢さんは何か起きると現場に出る。出会っていなかったら議員になっていなかった」と振り返る。

市政史上最年少の25歳で市議に初当選。たたき込まれた現場主義を生かし、現場に足を運んで市職員の不祥事問題などを追及した。「若いから体を張ってしか京都に恩返しができない。命をかけて政治をするということだけは他の人にまったく負ける気はしない」と断言する。

現在、はまっているのが半年前に始めたばかりの釣りだ。小学校時代からの旧友と車で琵琶湖に出かけ、ブラックバス釣りをするのが楽しみの一つと言う。

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