2月議会においては、新景観政策のあり方、眺望景観創生条例の制定をめぐって本当に市民を巻き込んだ大論争となりました。3月12日日付変更線をまたぎ午前2時頃まで調整が続き、大きくずれ込み3月13日午後本会議が開かれ、結局全会一致で可決しました。
しかし、その過程において様々な思いが錯綜し、種々の議論が行われたので、私の私見をここでしるしておきたいと思います。
元々、17年に景観形成の為の諮問機関として「時を越え光り輝く京都の景観づくり審議会」を発足。一年以上の議論の末、18年11月最終答申が提出。これが、この新景観政策及び、その条例のベースになるものでした。中身はわかりやすく言うと、3つの柱からなっています。
それぞれの項目ごとに見ていきます。
将来的見地に立てば、必ずやらねばならない課題であり、即に遅きに失したと言わざるを得ないと思っています。そういう意味で大変歓迎すべきものであります。
これについて指摘が集中した主な点については、
ということで、この高さについては、プラスマイナス両方の言い方はありますが、「将来の為にやるしかない」と、こういう認識で全会一致したわけです。
次に、デザイン規制ですが、確かに町並を形成するために重要なこと。私見を言えば、私はかねてより、部分保全を主張してきました。市全体を規制するのではなく、門前町や歴史遺産の周辺等を中心に保全する考え方で、ニュータウンの様な処まで規制する必要があるのかという点において疑問が残る。ここは、微妙にズレがあるのです。
このデザイン規制こそ、市民の声が最も多く、争点になったところです。元々、緑地30%以上とか、ケバラ(屋根ののき)〇〇cm以上とか随分細かい、色の規制やデザインの規制を決めたのですが、余りの反発を受け、実はほとんど「努力義務」や「原則として」というルールに変わってしまいました。柔軟性はあっていいが、基準があいまいなのは、現場を混乱させるもとであるから、一定の明確化と柔軟性を維持させねばならない。
ここは、随分頭を抱えました。杓子定規じゃダメ。定規がなくてもダメ。
結局、「建築家や関連団体と恒常的な協働システムを構築すること」と「審査基準を明確にする」ということが全会一致で決議に盛り込まれたわけです。また、柔軟性を持たせる意味から「和風でなくとも周辺環境に調和した意匠建築であれば、認めること」という点も付け加えられました。これを受け、細部は全て条例ではなく、規則で決められる事なので、規則が大幅に変更されることになると思います。
3つ目の柱は、屋外広告物の規制強化であるが、これは実は、私自身以前から委員会で主張して参りました。どんどんやればいいと思っているが、大体今までも条例で規制してきたが、はっきり言って甘い。行政代執行(強制撤去)に及んだ例はないばかりか殆ど実効性に乏しいのが現状です。先にそれをやってほしいと思うのですが、まあこの柱はいいと思っています。
最後になりますが、この2ヶ月間終始して見えてこなかった事は、本当の50年後、100年後の京都のトータルビジョンです。本来これだけの条例を決める前にはその前提となるグランドビジョンが策定されねばならないし、それを示した上でやらねばならない。それなくして、政策をつくることこそ、ビジョンなき迷走なのであります。かつて高さ規制が緩和され、今再び規制すること自身、ビジョンが欠如している証拠です。
同時に私自身、今議会で市長と再三やり取りをしたが、景観と並ぶ交通体系をどうするか、という問題。これもビジョン無きまま、LRTを導入しようとしているが、同じようにビジョンを策定した上で、取り組むべきなのです。アドバルーンを揚げることは簡単です。それ以上に難しいのは、どこへ向けて揚げるのか、という事だと思っています。それが今の京都市に求められている最も重要な問題であると言っても過言ではありません。
蛇足でありますが、政治とは優先順位の問題です。京都市は財政非常事態宣言下にあって既に7年目になります。未だにこの状態から脱却できない最大の理由は、財政再建を最優先課題にせず、あれもこれもせねばならないとアドバルーンを揚げっぱなしにしていることだと思っています。その点においてもグランドビジョンが欠如しているのであります。
私自身条例案に賛成しまたし、結果全会一致で可決しました。グランドビジョンが策定されぬまま条例案が上程された事に大きな問題を感じますが、条例案を廃案にするには、あまりにも忍びないとの判断から賛成いたしました。今後はこれが1つの契機となって、明確な国家100年の大計である、将来のグランドビジョンの策定を強く求めたいと思います。
京都市よ、さあ50年後を見据えたグランドビジョンを策定されたい。